2020年03月31日

[出雲の伝承の地をたどって avec ともみち くん] 第二の聖地から第三の聖地へ。河の流れの変遷を追って。

遂に言葉を話した「ホムチワケ」。その地は「石硐の曾宮(いわくまのそのみや)」。その地点から、川下に向かって声を上げたという。「あのこんもりと青く茂れる山は、山に見えて山でない、さてはオオクニヌシの大神を祀る神官の祭場なのでは。」
 
ならば我等もその伝承を追って川下へと進もうではないか。
 
と、そこに問題が。
古代の河の流れの通りではなくなっているんです、現在は。我が手に古地図の一つもあるでなし。
「ならば登りましょう。」と 近藤くん。うむ、さすがは大学で地理学専攻。理にかなったことを。
14. 「出西三本松公園」 (モクレンも綺麗) (高いところから見下ろし、斐伊川 (ひいかわ) の流れの変遷を確認)
「出西三本松公園」です。標高186m。ちなみにモクレンも、めっちゃ綺麗です (次の日記にて紹介します)。この高見から、斐伊川 (ひいかわ) の流れの変遷を確認。

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posted by (旧) hinden (まほまほファミリー) at 22:23| 東京 🌁| Comment(0) | ともみち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[出雲の伝承の地をたどって avec ともみち くん] 歌舞音曲を奉納。(第二の聖地・「曾枳能夜 (そぎのや・そきのや) 神社」にて)

伝承に拠れば「石硐の曾宮(いわくまのそのみや)」なる地で、初めて皇子「ホムチワケ」が言葉を話したと言います。では、その、「石硐の曾宮」とは、どこのことなのか。日本書紀などの文献を繙(ひもと)くと、「神名火山」とか「神奈備山」とか記されている「かんなびやま」の北西に位置しているらしい。その御神体山が今の仏経 (ふけ) 山 (366m) だとすると…。地域としては、出雲市斐川町 神氷 (かんぴ)。「曾枳能夜(そぎのや・そきのや)神社」という神社がそれではないか、という結論になり申した。地理的にピタリ合うとりま。(大学で地理学専攻だった 近藤 峰生 氏 にも確認、位置関係は間違いない、とのこと。)
(今回の旅の本丸) 13. 「曾枳能夜 (そぎのや・そきのや) 神社」 (歌舞音曲を奉納)
伝承に則 (のっと) り、肥の川 (斐伊川) の下流に向けて、歌舞音曲を奉納いたします。
(今回の旅の本丸) 13. 「曾枳能夜 (そぎのや・そきのや) 神社」 (歌舞音曲を奉納)

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posted by (旧) hinden (まほまほファミリー) at 04:31| 東京 ☁| Comment(0) | ともみち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[出雲の伝承の地をたどって avec ともみち くん] 歌舞音曲を奉納。(第一の聖地・「鵠 (くぐい) 神社」にて)

(今回の旅の本丸) 12. 「求院 (ぐい) 八幡宮」 (その境内にさらに神社 !! 「鵠 (くぐい) 神社」) (歌舞音曲を奉納)
ともみち くん のような 成人して なお 言葉を話す見込みのない最重度の知的障害者 にとって、聖地、それも第一の聖地と申すべきスポットです。なにしろ、言葉を発するその端緒が、空をゆく一羽のハクチョウにあったのですから。
(今回の旅の本丸) 12. 「求院 (ぐい) 八幡宮」 (その境内にさらに神社 !! 「鵠 (くぐい) 神社」) (歌舞音曲を奉納)

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posted by (旧) hinden (まほまほファミリー) at 02:06| 東京 ☁| Comment(0) | ともみち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする